おおうま部屋(ブログ)2008年
デザイン関係の仕事をしていた時、定期的に書いていたブログです。
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200812月10日(水) |
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今年も残すところあと20日。ちょっと早いが2008年を振り返って漢字にしてみると、「決・耐・9謝」かなと思う。 「決」は、この数年テニスでダブルスを組んでいた人とのペア解消の「決断」。 「耐」は、両足負傷して回復のメドが立たない「忍耐」の日々。 「謝」は、文字通り「感謝」。 ------- 話はまったく変わって。 馬の調教方法に、「ナチュラルホースマンシップ」というのがある。簡単に言うと、「人間が一方的に痛みや脅しや忍耐を強いて馬を動かすのではなく、お互いの信頼と理解をベースにコミュニケーションをとる」ということカナ(私の勝手な解釈)。 一度講習を受けてみたいと思っていたものの、だいたいが北海道の話で諦めていたのだが、11月に久々に馬友達と群馬の乗馬クラブへ遊びに行った時、なんとこのナチュラルホースマンシップのインストラクターがそこにいた。びっくり仰天。 飛び入りで1時間あまり概要講習をしてもらったのだが、受けてみてやっぱり「これだ!」と思った。この先、少しづつでも体得していきたいなと思う。 この講習を受けてわかったことが1つ。馬に理解してもらうためには、「オン(プレッシャー)」「オフ(リセット)」をはっきりさせなくてはいけないのだが、私は「オン」はできるが「オフ」ができない。要するに、いつも緊張しっぱなし・要求しっぱなしということ。 日常生活、確かに「オン」ばかりだなと思う。自分の心身のためにも、意識して「オフ」を作る必要がありそうだな。 |
2008年10月10日(金) |
物理学と化学で日本人3人がノーベル賞を受賞したニュースは、連日の暗いニュースの中にあって、なんだかものすごく嬉しいできごとだった。私の大学の同期で研究室に残っているのは1人だけだが、彼が大賞をとったらどんなに素晴らしいだろう。〇〇君、陰ながら応援しているよ! 話は変わって。9月から三鷹ネットワーク大学の「星空案内人養成講座」というのを受講している。昨年も申し込んだのだが、定員20名に対し応募170名だったとかで、東大に入る以上の狭き門?!だったらしい。でも、星が好きな人がこんなにも近くにたくさんいるのかと思うと、妙に嬉しかった。 なんで「星」なのかは、語り出すと35年前に遡るのでやめておく(笑)。ただ、馬と星だけは、あこがれとも夢とも目標ともつかぬまま、いつも変わらず常に胸の中にあった。なんとか繋がっていたいけど、具体策がないというところで悶々とし続けたまま今に至っている。 息子の部屋には、自分が高校生の時にお小遣いをためて買った天体望遠鏡と、自作した写真撮影用の赤道儀がまだ置いてある。これらは、どうしても手放せなかったもの。いわば、夢のかけら? 夢のなごり? 講座を受けられるようになって、この「かけら」がちょっとつながったような気がする。「なごり」の続きが見られるかもしれないという気もしてきた。離れてから25年近くたって、また巡り会えるとは思っていなかったなぁ。 目標達成や欲しいモノを手に入れるためには、目に見える動き(積極的な働きかけ、精一杯努力する姿勢)が必要とされるのが常だけど、こんな、「胸に想いを持ち続ける」というだけの、見た目消極的なアプローチもありかもしれない。これだと「~しなくちゃ」っていう義務感に圧迫されないから心臓が楽(笑)。 ちなみに「死んだら何がしたいか」と聞かれたら(死んだ後に何かできるのだとしたらね)、「宇宙を飛び回って隅々まで見てまわりたい」って答える。魂にはなんの制限もないから、超光速飛行も可能だし、何より事故で死ぬこともないし(笑) 自分の目で生宇宙を見られたら楽しいだろうなぁ。 |
2008年8月10日(木) |
先日、高校1年の娘の吹奏楽コンクールがあり、父を誘ってみた。幼稚園や小学校の運動会に祖父母が来ている光景をよく見たが、うちの場合、孫の行事には興味がない親なので、私もこれまで1回しか声をかけたことがない。今回は、会場が実家から近いのと、ヒマなら外へ出てみれば?という気持と、たまには若い子がたくさんいる所に行くのも刺激があって悪くないのでは?と思ったので声をかけたのだが、意外にも二つ返事だった。電話したのは前日の夕方だったのだが・・・。 私の記憶にある父は、過程は見ずに結果だけ見る人だった。今の時代は、なんとか子供のいいところを見つけて誉めようという雰囲気があるが、当時は悪いところを探しだされては怒られていたように思う。もちろん、結果がよければ怒られることはない。 娘達は、設立2年目の新設校の上、初心者がほとんどなので、間違いなく「上等の」演奏ができる訳はない。電話したのが前日の夕方というのは、父から「あれはひどいな」というコメントを聞くのはイヤだなぁという気持があったからだ。 しかし父は、思いのほか演奏を楽しんでいた。それも娘の学校以外の演奏も。「年をとると大きな音はしんどい」とか言いながらも、口から出てくる批評が頑張っている子供達を認めた上での言葉だったのには心底驚いた。年を重ねて達観したから・・・ならいいが、逆にあれこれいらぬ心配をしてしまった(笑)。 でも、誘ってよかった。 審査結果が出るまで時間があったので、喫茶店で話をしていた。父は医療関係の仕事をしているので、最近の日本の医療や医者不足について聞いてみたが、医者の人数(医学部の定員)は、需要と供給から算出しているのではなく、保険料を元に計算されているというのにはびっくりした。医者を育てる財源が保険料だからだそうだ。 ホント、医療界の常識 ≠ 一般の常識 だ。 先日、やっと医学部の定員が増やされたが、彼らが現場に出るのは8年後。遅すぎると言っていた。私もそう思う。じゃあ、どうしたらいいの?と聞いたら、「研修期間を2年→1年に戻せば、1年早く医者が現場に入れる」ってな答えだった。なんだ簡単じゃん。 でも厚生労働省はメンツがあるからできないらしい。誰か、桝添さんに電話してくれませんか。残念ながら私は知り合いじゃないので。 |
2008年6月10日(木) |
最近、感動・感心・びっくりしたこと。 ■ウォッカの安田記念優勝 ■伊達公子の復帰 ■手術で切り取られた息子の盲腸 ■娘の98点の化学の答案 ■高校生の足の速さ ■ガソリン満タンで6000円突破 ■成城付近のスーパーにはバターの在庫がある ■テニス初心者にアドバイスしたら翌週できるようになっていた |
2008年4月10日(木) |
無人島に行くなら何(誰)を持っていくかというのは、巷でよくされる質問だが、家族や馬などをのぞいた場合は、やっぱり私の答えは「ミュージッシャン」かな。医者とか漁師とか、生存に関わる分野に長けている人にもいて欲しいけど、やっぱり気持ちを明るくしてくれたり癒してくれる「音楽」を生み出せる人がいてくれたら、諦めずに生き抜いていける気がする。 昨日、アカペラを競う「ハモネプリーグ」という人気番組を見ていたのだが、その中で審査員の武田鉄也が、思ってもいない低得点に泣く参加者に対し、「自分が楽しみたいのなら、まず人に楽しみを与えないといけない。君たちは自分の「求道」をしているから、お客さんは不安で緊張している。今回の審査員は、相手にいかに「伝えられるか」というのを見ているのだと思うよ」というようなことを言っていたのが印象的だった。 以前、テニスの練習相手をしてくれた上級者から、「あなた達は何をしたいのかわからない。攻撃するのか守るのか、何を目指しているのか、そこをよく考えるといい」とアドバイスされたことがある。勝てる相手に勝てなかったり、試合が進むにつれて増幅してくる不安の原因は、たぶんすべて同じなんだと思う。 しかしテニスというのは、つくづく難しい競技だと思う。一事が万事、相手あってのこと。対戦相手しかり、自分のペアしかり。自分だけ「求道」していても、相手に通じなくては何も生まれず何も生かせず。だから何の結果も伴わないのだろうな。 何が足りないのかずっと考え続けているのだが、最近、「考え過ぎかな?」と思うようになった(笑)。考えると、どうしても悪い結果を想定して守りに入ってしまう。「そうならないようにしよう」と思って動くのと、「そうなったらこうする」と思って動くのでは、体内負担感に雲泥の差がある。やっぱり上を向いて歩く方がはるかに楽だし体も動く。動けば自信がつく。自信がつけば楽しくなる。どうせ転がるなら前へ行きたいよね。 それにしても、伴奏もなく5人6人で和音を作れるというのは、私には想像を絶する才能だ。伴奏があってかつ一人で歌っても不協和音になってしまう私は、カラオケで「他人に自信を与えられる」ことだけは100%自信がある。自信喪失してる方、お役にたちましょうか? |
2008年2月10日(日) |
昨年11月に、土佐の牧場にいた「さんきらい号(さんちゃん)」という馬が他界した。享年31歳。名馬シンザンに近い天寿は、普通の馬で全うできる子はほとんどいないので、正直悲しいというより、幸せな余生を送れたことにほっとする気持の方が強い。 彼は愛知の乗馬クラブを引退後、県内で引退競走馬の救護活動をしているKさんという女性に引き取られたのだが、経済的に大変だということで、いななき会にもヘルプコールがきた馬だ。私は3~4回ほど彼に会ったことがあり、背中に乗せてもらったこともある。ベテランの乗馬なので、私ごとき素人の言うことは聞いてくれなかったけど(^^;、馬房にいても「おう、なんだよ」という貫禄があり、子どもの頃、隣に住んでいた曾祖父のような暖かさと鷹揚さがあった。側にいるとほっとしたなぁ。 Kさんが救った馬の中に「シナノアリサ号」がいる。芦毛の狂乱的な女の子で、噛むわ蹴るわ馬房に後ろ向きでないと入らないわで、Kさんから引き取った乗馬クラブのN先生は当初ほとほと苦労したらしい。本当は他の子が来るはずだったのだが、ケガをしたため、急遽アリサが「送られてきた」。約束が違うと言っても、相手は生きている馬。諦めて(笑)受け入れ、それから格闘の日々が始まった訳だが、今では最優秀の乗馬になり、アリサにしてみると「奥さんより私の方が先生と深い仲なのよ!」という、どうしようもない三角関係になっている(^^; 私はアリサに会うたび、本当の愛情というものを考えさせられる。暴れていたのは彼女なりの理由があるのだろう。N先生は彼女を押さえつけるのではなく、理解して導く努力をしたのだと思う(まるで金八先生のようだ)。 ちなみにN先生、馬の扱いはピカ一だが、どうも人間界の世渡りは苦手みたい。でも、、、わかる気がする。 首つり状態でうたた寝するアリサ |
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