おおうま部屋(ブログ)2010年
デザイン関係の仕事をしていた時、定期的に書いていたブログです。
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2010年12月10日(金) |
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早いもので、今年も残りわずかとなりました。今年はいつまでも暖かいせいか、年を越すと いう実感がなく、未だに年賀状すら買っていません。 毎年新年になると「今年こそ早く年賀状を書く!」と決意するのですが、今年もダメだな・・・。皆さんは今年はどんな年でしたか? 私の馬友達が、身辺整理を始めたとブログに書いていました。独身だし、 何かあったときに後にいろいろ残っていたら迷惑かけるし恥ずかしいし・・・ みたいなことらしいのですが、パソコンにデータとして落とせるものは全部放り込んでポイ! 家具・食器類は使う最低限にしてポイ! 「どうしようかな」と迷う品々も目をつむってポイ! そんな こんなで、何かあったらすぐパッキングして夜逃げできる程度の荷物しかなくなったそう。 潔いなぁ(笑)。そして、もし天寿をまっとうできて80歳でぽっくり死ぬとして、あと残り何時間あるのか計算してみたら、それしかないんだということに愕然とし、 じゃあ残された貴重な大事な時間を何に使うか考えたら、山ほどあって収集つかない。んじゃあ、やりたいことをやるための時間を確保するために 無駄な時間を削ろう。 何を削るか、、、。やりたいことリストを作るより、何が無駄か認識するほうがわかりやすいかもと言ってました。ナルホドね。 年を重ねるにつれ、「自分自身」含め、大事に思うモノ増えますよね。大事に思うあまり身動きとれなくなったり、固執して頑固になったり。 それはたぶん、この先の時間に限りがあることを忘れていて、今の時間がずっと続くと思うからなんでしょうね。なんかいろいろ重くて息苦しいなぁと思ったら、 自分の大事な時間をどう使っているか考えてみると出口が見つかるかな・・・なんて思ったのでした。 皆様、今年1年大変お世話になりました。来年もまた、よろしくお願いいたします。 |
2010年10月10日(金) |
酷暑にいい加減うんざりしていた9月のある日、高3の娘が明日は代休だというので「じゃ、ドライブにでも行くか」といきなり思い立って、 まだ夏休み中の大学生の息子と3人で出かけてきた。 「どこに行く気?」「うーん、とりあえず中央道」「どこでおりるつもり?」 「うーん、富士五湖方面は前に行ったから甲府方面で涼しそうなとこ」・・・ナビも地図もあるとはいえ、いい加減この上ない。 パーキングでドライブガイドを立ち読みしながら、「やっぱ八ヶ岳にするか」とこれまた適当に決める。しかし、実は家から片道150Km。 運転手は私一人。ちょっと自信ないけど、行けなかったら引き返せばいいし(これまたいい加減)。 相模湖からは道が曲がっていてアップダウンもあるので好きじゃないんだけど、一宮御坂を過ぎると空が開け道も平坦になって、 快晴の極上ドライブになった。いや~地球は美しい! インターを降りて気持ちよく八ヶ岳ドライブコースを走っていたら、山の上に牧場を発見。 どこに行く予定でもないのでとりあえず立ち寄ってみたら、ポニーや羊が放牧されている普通の観光牧場だった。 とても徒歩で全域まわる気にはならないほど広いし、いまさら動物ふれあいもないだろうと思ったら、意外にも子ども2人が
ずっと動物と遊んでいる。やっぱりずーっと家にいて日常だけの毎日に疲れていたようだ。 私はといえば、背中をカキカキしてあげたら大喜びしてくれた仔馬にも癒されたけど、羊の群れを追いかけるペーター状態の息子と (いや、ペーターが追っていたのはヤギか)、カモが歩く時のおしりに魅了された娘を見ていて、気持ちのハリが溶けてゆるゆるに。
無理して出てきてよかった~♪ そして、とりあえずここまできたら、日本人の常識として清泉寮のソフトクリームだけは食べなければいけない。昼ごはんを食べ損ねた上、 日が落ち始めて肌寒いのに、なぜここでソフトクリームなのかと文句を言う息子に、「一度食べておけば社会に出て通用するから」と 訳のわからない講釈をして向かうも山の中で迷い(^^;、着いてみれば完全に観光スポットと化していて、昔むかしのこじんまりした面影が なくなっていてちょっとがっかり。ここまできて人間の群には遭遇したくなかった。。。 そして帰路は、夜からバイトだという息子にあわせて「絶対死なない!」とハンドルにかじりついて飛ばしまくり、 |
2010年8月10日(木) |
ここ数年、梅雨時期にテニス友達と箱根旅行へ行くことが恒例になっている。箱根小涌園のユネッサンに1泊3食1万円で泊まれるという、超お得な平日パックがあるのだ。とはいえ、中年真っ只中の美女が2日も温泉プールで遊ぶというのはいろんな意味で無謀なので、初日はどこかで遊びがてら宿を目指すことにしている。あのあたりで遊ぶというと、御殿場アウトレットが筆頭だろうけれど、買い物大好きでもない者には一度行けばもう十分。そこで、外乗をしようということになった。もちろん、私以外で馬に乗ったことのある人はいないので、意見一致したというより、皆が私の趣向にあわせてくれただけなんだけれど(笑) その時の写真がこちら↓↓ 友人は去年初めて馬に乗り今回が2回目。年1プレーヤーだと寿命までに何回乗れるのだろう。まあ60回は無理かな(爆) でも前回はただただ馬に乗っかっていただけだった友人が、今回は自分で脚(きゃく)を入れて馬を促したり、草を食わせないように戦ったり、自分でいろいろやっていた。私も、乗馬を始めた最初の時に、自分で感じて考えて行動するだけの時間を与えてもらいたかったなぁ(羨)。 乗馬クラブにいた頃、いつも怒られていた。止まれない、速足出せない、曲がれない・・・などなど。できないと最終的に人馬の安全に関わってくる事だから致し方ない部分があるのはわかるのだけれど、怒られてもできないものはできないし、何より楽しくない。 当時は必死だったから気づかなかったけど、上に乗ってる人間が怒られてる時、馬は何を感じていたんだろう。私は怒られている時、自分のことで精一杯で、馬の気持ちは全然考えられなかった。「動かさなきゃ」「なんとかしなきゃ」って焦り、なんとかしようと動作はしたけれど、気持ちはイントラへ向いていて、ただ動作だけ馬に与えていた。これは乗馬じゃないよね。 私が願うのは馬と共同作業ができること。馬が何を感じ、何をしようとしてるのか、そういうことを感じられる(耳障りじゃない)乗馬がしたいのだ。別に駆け足できなくても構わないから。それにはやっぱり、気持ちの落ち着いた大人しい馬が必要だし、そういう馬や環境は、クラブ側に理念と愛情がなければ作れないと思う。 そんなこともあって乗馬クラブはやめてしまい、今は友人や家族と年に数回、こんな風にちょっと乗るだけになっている。でも月何回も乗ってた時より今の方が楽しい。失敗したから本当に欲しいものが見えてきたのだとは思うけど、失敗につぎ込んだお金は・・・・計算したくないなぁ。 |
2010年6月10日(日) |
先日、大学卒業25周年の祝賀会があり、また同期の友人達と会うことができた。面倒見のよい幹事がいてくれるお陰で、 このところ2年に一度は会えるようになったので、「ドキドキの同窓会!」ではないのだけれど、人生折り返し点を過ぎてしまうと誰もが 「何があってもおかしくない」という思いがあるものだから、1年1年が大事!ということで、あまり間をあけずに機会を設けてくれている(感謝です)。 で、その祝賀会の時、どこからともなく白黒の顔写真一覧が回ってきた。なんだか見たことある顔が並んでいるなぁ~と思ったら、 在学当時の学科内全員の顔写真だった。入学時に撮ったのか卒業時に撮ったのかは誰も覚えていなかったけど、電撃ショックでしたわ。 「この頃はこんなに若かったんだ! それなのに今は・・・」というのはまあもちろんあるのだけれど、これは不可抗力なのでスルー。 びっくりポイントはそこではなくて、クラスメイトは皆、こちらを向いて笑顔モードなんだけど、私は一人だけカメラを見ずにそっぽを向いてるってこと。 「普通、横向かないよねぇ、なんで?」ってさんざん聞かれました。 写真に写っているのは、今の息子と同じくらいの子ども達(当時は自分が子どもだとは思ってなかったけどね)。でも一人ひとり見ていくと、 その当時の彼・彼女達の在り方が、ちゃんと顔に出てるんですね。写真写りがいい悪い、ポーズ決めが上手いヘタに関係なく、 本当に素の本人がちゃんと写し出されてる。すごいなぁと思いました。 「論語」の中に「三十にして立つ。四十にして惑わず」という一節があるけれど、内面的な部分でいえば、私は20年は遅れをとっていると思う。 今の自分の土台となっている10代の頃を理解できぬまま積み上げてきてるところがあるので、どうしても足元が不安なのだ。 で、横向いている私。横向いてる理由は「カメラが嫌いだから」。他人から見たら「なんだこいつは」にしか見えないけど、 本人にとっては「当時の自分の感情=土台の自分」が見事にコピペされていて、「ああ、そうだったんだ」とわかったこともあり、 「頭なでてあげたいな」と励ましてあげたくもなり、タイムマシンがあるなら、当時へ戻って話をしてあげたいなと思ってしまったのでした。 しかしみんな、こんなヤツとよくつきあってくれたよなぁ・・・。いやまあ、お互い様かな(笑)。次回飲み放題の同窓会ではお酌しますんで、 好きなだけ飲んでください(爆) |
2010年4月10日(土) |
今年は大学卒業して25年の「銀婚式」ならぬ「銀祝」らしい。ついこの間まで学生だったつもりなのになぜ?と思うけど、自分の子供が大学生なんだから当たり前か。。。。 高校や大学の同窓会に行くと「あの時ああだったよね~」とか「あの時こんなこと言ったよね」とか言われるのだけれど、ほぼ間違いなく覚えていない。いつも「今」のことで頭が一杯なので、 脳の中に過去の記憶をとどめておけるスペースがないというのもあるけれど、たぶん自分から自発的・能動的に動いた結果とか、言われて衝撃を受けたこと以外は思い出すことがないので、 記憶の底へ埋もれてしまうのだと思う。 未だに忘れられない衝撃といえば、小学校2年生の時の担任から書道の時間に、「字が汚いのは心が曲がっている証拠!」と皆の前で大声で言われたこと。 まあ、今思えばいろいろとハタ迷惑な子供だったので、当たっているのだけれど。 もう一つは、小学校5年の時の担任。休み時間にめだかの稚魚を見せてくれながら「なぜ赤くないと思う?」と聞かれて、 「(え~)子供のときは色がなくて大人になると赤くなるから(めんどくさ~)」と適当に答えたのに、ものすごく誉めてくれたこと。 理科が好きになったのは間違いなくあの時だと思う。あ、でも担任の名前は覚えてない。 でも冷静に数えると、もう40年も前の話。「昭和」は昔だと思っているうちの子供にとっては、大昔ですな(笑)。 高齢者と話をすると、最近の事は覚えてなくて子供の頃の事はよく覚えているけれど、私も着々とその道を進んでいるようです(^^; ちなみに最近は、テニスで初対面と思われる人に会っても「初めまして」とは言わないようにしている。「あら、この間あそこで会ったわよ」と
言われちゃったりするので、「こんにちは、大沼です~」と軽く逃げておく処世術を学びました。人間幾つになっても先につながる学習が大事ですネ。 |
2010年2月10日(水) |
昨年の秋、娘と一緒に、近所のアイメイト協会(盲導犬の訓練施設)へ見学に行きました。地元の東伏見や保谷では、よく盲導犬を訓練しているところを見かけていたので興味があったのだけれど、毎度の「興味どまり」。娘の高校の文化祭で、ボランティア部がここのパンフレットをおいていたのをもらい、それでやっとこ重たいお尻が持ち上がりました 当日、恐る恐る扉をあけて入ると、通路にラブラドール達がたくさん伏せている! え、あれ?いきなり一般人と接触しちゃっていいの??いや、触っちゃダメよね・・・などなど考えながら、3階の講習室へ。参加者は小学生から年配の方まで20名ほどだったかな。親子、夫婦、おばあちゃんとお孫さん、カップル、部活の高校生などなど、性別も年代もばらばら。 最初30分ほど訓練士の方から話を聞いたのだけれど、その中でも、「目の不自由な人全員が盲導犬を必要としている訳ではないから、盲導犬が極端に不足しているということはない」という話は意外でした。テレビでは「目の不自由な人の数に対して、盲導犬が全然足りない」という放送しか見たことがなかったので、てっきりそうなんだと思っていましたから。 盲導犬を使うということは、動物と暮らすこと。動物との生活があわない人もいるし、他の方法の方がよいという人もいる。これは目の自由・不自由とは関係なく、誰でも同じですね。なるほど。 それから、見学にくる人も外で接する人も、どうしても犬に目がいってしまいがち。でもそうではなくて、盲導犬を利用している人間を見てほしい、必要であればヘルプの手を差しのべてほしいと言ってました。ああ、確かに犬の方を見ちゃうわ・・・。 最後に外へ出て、実際に盲導犬と歩く体験をさせてもらいました。アイマスクをつけて、路地の突き当たりまで行って戻ってくるだけなんだけど、犬の足の速さにびっくり!! 事前に歩く場所を見ているから、犬に委ねて安心して歩けたけど、そうじゃなかったらとてもとても・・・・。ほんの数分の体験でしたが、 自分とは異なる環境にいる人の気持ちが、ちょっ とだけわかりました。 そして帰り際、通路で寝ている子達に触っていいですよと言ってもらえたので、撫でまわしてきました。彼らは何があってもそこで待たなければいけない「待て」の訓練中。何をされてもじっと動かない子もいれば、嬉しくてじゃれつこうとする子もいて(訓練士さんに叱られてましたけど)可愛かったです。 この体験で何がどうなる訳でも、どうできるという訳でもないのですが、「まず知る」という意味では、とても貴重な経験でした。娘の心には何が残ったかな・・・。 |
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