おおうま部屋(ブログ)2009年
デザイン関係の仕事をしていた時、定期的に書いていたブログです。
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2009年12月10日(木) |
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今年はひょんなことが多く、先日からプロコーチのモーさん(本名モハメッド・・・なんとかさん^^;)のレッスンを受けている。モーさんは、フィジーかどこかのデ杯(テニスの国別対抗戦)代表選手だったらしく、プロ選手のコーチもやっているらしい。まあ要するに、伊達公子さんみたいな立場の人であるわけなのだが、そんなすごい人が、ひょんなことで近所の1面しかないローカルコートにやってくるようになり、ある日たまたまそこへ行った時に会ったがために、短期で少人数レッスンをしてくれるという話になった。昨年のナチュラルホースマンシップの講習といい、秋の市民戦3位入賞といい、時々、自力の範疇を超えた力が働いているとしか考えられない流れに乗ることがあってびっくりする。称して「ミラクル海流」(ダサ)。 そのモーさんに言われたこと。「あなたはとても優しい。だけど優しくする必要はない。あなたがレベルアップすることで、他の3人も引っ張られて上手くなるんだから全力でやれ」と。その時の状況をこの言葉に絡めて翻訳すると、「人に遠慮することはない。自分を出しても周りがアンハッピーになることはないし、逆にハッピーにできるんだから心配するな」ということかな。衝撃でしたね。「なーんだ!この線、飛び越えちゃっていいんだぁ」みたいな。 テニスは球技だけど、ゴルフと違って人と関わって成り立つスポーツなので、人間関係ってかなりのウェイトを占めます。特にダブルスは、90%がペアリングで決まるんじゃないかなと感じるくらい、互いの意思疎通って重要。でもここに、自分の性格とか普段の生活とかが出ちゃうんだな。。。。良くも悪くも。 よく「お互い思ったことを伝えてコミュニケーションをとるのが大事」って言うけど、これ一番大事で難しいところが抜けてるなと思う。そう、自分の言いたいことを好き勝手に言うんじゃなくて、相手に伝わる形で伝えるってこと。「相手に伝わる形」って、まず相手を知ろうとするところからやらないとわからないから大変だし、正直わかんない。普段の趣味の集まり程度だったら、みんないろんな方角向いてますから、あまり深入りせずに、当たり障りなく楽しく過ごすというのも大人の知恵というものですよね(笑) 「コーチ」という人の素晴らしさは、単に技術だけじゃなくて、そこにいる人たちの向く方向を揃えられるってこと。同じ方向を向いていれば、お互いの言動の本意はちゃんと伝わるので、純粋にテニスを楽しむことができる。そういうテニスをした後は、どんなにハードだったとしても全然疲れないんですよね。 まあ他人のことはわからないにせよ、「自分がどうしたいか」というのは(言葉にしろ行動にしろ)伝えていっても弊害がないんだということがわかったので、だいぶ身が軽くなりました。相変わらず体重は減らないんだけどね・・・。 市民戦で好成績を残せた時に上級者に言われた「まぐれじゃないよ。今までやってきた事が間違ってなかったっていう証拠だよ」という言葉も嬉しかったなぁ。 「励みになる言葉」って宝物ですね。自分では人に与えられないんだけど。 |
2009年10月10日(木) |
今回はどうにもネタがありません(泣)。なので最近知ったお気に入りを紹介。 ■伊香保 ■紅葉台木曽馬牧場 ■エルミタージュ |
2009年8月10日(日) |
今月の西東京市の市報に、外猫の避妊手術に補助金を出すというお知らせが載っていた。飼い猫ではなくノラ猫にだ。餌付けだけしているノラ猫を、獣医へ連れて行くために果たして捕まえられるかどうかは別として、ノラ猫を増やさない(人間の都合で処分される命を増やさない)試みとしては画期的だなと思った。テニスコートは市内に7面しかないけど、西東京市の職員をちょっと見直しました。
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2009年6月10日(水) |
最近は、うまくできないことが妙に楽しい(ただし人間関係は除く 笑)。先月あった望遠鏡の組み立てテストでは、ファインダーの位置あわせがどうしてもうまくいかず、「何とかしなくちゃ」と焦りつつも「こりゃもうダメだなぁ」と諦めが半分交じり、その一方で、緊迫した状況の中で見事にダメダメな自分がやたら面白く、テニスの試合でもこんなにドキドキしないなぁ(嬉)・・・・なんて能天気なことを考えていた。 以前だったら情けない自分を正面から見せつけられて落ち込みまくっただろうが、「ま、またチャンスをもらえるなら受けなおせばいっか」なんてお気楽でいられるというのは、もしやこれは「オバサン化」している証拠なのだろうか・・・(ヤバイヤバイ)。 でもやっぱり、あまりに簡単にできてしまうことはつまらないなと思う。かといって、できる見込みが全くないものに手を出すほどの根性も財力もない。なので何回か失敗すれば何とかなるかなと思えるものにチャレンジしている。要するに、成功するまで続ければ「失敗」ではないので。 そんな戦略(?)が見事にはまった結果がこちら <おまけ>最大のタラレバ |
2009年4月10日(金) |
先に書いた「星空案内人講座」だが、準備講座を終わったので本講座への申込みをしてみた。こちらは「テストを受けるためのテスト」が最初にあり、少々及び腰だったのだが、一緒に受講した人の誘いもあり、子どもたちだけ着々と「合格」を積み重ねているのも悔しいので、ダメ元でチャレンジしてみることにしたしだい。 しかし! 現実は甘くなく、のっけの「テストを受けるためのテスト」で追試宣告をくらってしまった。マジ?! ショック・・・。娘に言ったら「そういうことはよくある。次がんばればいい」とさらりと受け流しつつ励まされ、ずいぶん頼もしくなったと内心感慨にふけってしまった。とはいえ暗記が苦手な理系なので、現実的なことは理解できるのだが、神話とか文化となると、会ったこともない人たちのことがどうにも覚えられず、かなり四苦八苦している。昔から、歴史の授業は嫌いだったしね。 まあ受講料も払ってしまったので、とりあえず頑張ってみます(^^)v |
2009年2月10日(火) |
昨年通った「星空案内人養成講座」での話は楽しかった。たとえば夜空を見ると真っ暗な中に星が光っているが、これは私達が感知できる可視光で見ている世界であり、電波で観測すると、夜空はピカピカものすごく明るいとか。光って見えているのは宇宙全体の物質の5%くらいで、残り95%はダークほにゃららという名称の見えない物質であるとか。今この世に存在するものは、すべて水素分子から始まったとか。 先日息子が、「葉っぱがなぜ緑だかわかる?」って言うので、「緑だけ反射してるから」って答えたら「まあそうなんだけどね。。。。光合成に緑色がいらないからなんだよ」と講釈されてしまった。私の知らないことを当たり前のように話す息子の成長ぶりも嬉しかったが、それより、もし光合成に赤色が不要だったら、木々は真っ赤だったのかと思うと、緑にしておいてくれてよかったなぁとしみじみ思ってしまった。1年中草花が赤かったら、誰もガーデニングなんてやらないだろう。 こういう話を聞いていると、本当に今の世界は「ひょんなこと」でできあがっているんだなと思う。水素分子から始まった今の世界、いずれはまた分子に戻るのだろう。目の構造が違っていたら、見えてる世界も全然違うだろう。こういうことを考えていると雄大な気持ちになれるので、大学受験真っ只中の息子を見ていても笑っていられるのである。でもあと1年笑ってられるかはわからないよ。。。はぁ |
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